先日、とあるコンクールの裏方のお手伝いをさせていただく機会がありました。
私が出るわけでもなし、
今回は生徒さんが出場しているわけでもない。
舞台袖で本当に様々な子どもたちの表情を垣間見ることができて、
とても客観的にコンクールという特別な場を感じられる、とてもいい機会でした。
低学年の出場者の中には、おそらくとても感受性の強いお子さんが何人かいて、いつもとは全く違う空気に押しつぶされそうになって大粒の涙を流しながら待機してる子もちらほら…
今流れてる空気がどんなものなのか、感じるのが上手な子とも言えます。
でも、絶対に舞台から逃げ出すなんてことはないんですよね。
みんな、最後は勇気をもって舞台に進んでいきます。
それにはちゃんと理由があって、
お母様方がお子さんを舞台袖にお預けいただく際に、
「きっと泣き出してしまうかもしれないけれど、たぶん大丈夫だと思うので…
私がそばにいるともっと泣いてしまうと思いますし…」
と、全面的にお子さんを信じて見守る体制がしっかり整っていたり、
涙を止めようにも止まらないし、不安で不安で仕方ない…といったお子さんに最後まで寄り添って、
その子が演奏し終わるまで、できる!と信じて応援し続けていたり。
きっと大丈夫!
きっとできる!
こうやって心から信じて応援してくれる存在がいるからこそ、
子どもたちにとって、とても大きな勇気に繋がっているのだろうなと思います。
なんだか私も全然関係ないのに、普段人前で演奏する立場としてこちらも存分に励まされる思いになりました…♬
これは私の勝手な想像でしかありませんが、涙を流すというのは不安を逃がしているのだろうなと思うので、
空気を感じすぎてしまう子どもたちにとっては必要な儀式のようなものなのかもしれませんね。
もう少し大きくなれば、きっと涙は流さずに済むほかのリラックス方法を手に入れられるかもしれません。
もちろん、他の出場者のお子さんには十分運営側が配慮はしなければいけませんが、
でも子どもたちってすごくて、自分もきっと緊張しているだろうに、
泣いている子に対して心配していたり、声をかけていたり、ものすごく優しい…
きっとそういうお子さんたちも、ご家庭の中で十分に安心感に守られているからなんだろうなと感じました。
それにもいちいち感動して、私の心の中は大忙しでした(;´▽`A``
余談ですが、小さいころの私はと言いますと、
九州独特の良い意味での気の強さを持った母が、
「大丈夫やけ、がんばり」(北九州弁で失礼します!)
「失敗したら泣けばいいやん。嬉しかったら笑っとき!」
と結構励まし上手であったので、必要以上に緊張しすぎたり落ち込みすぎたりすることはなかったように思います。
この母の何の根拠もない「大丈夫」にはすさまじい力があったなと今になって思います。
とはいっても、高校生になって本格的に音楽の勉強をし始めたころには、
自分の力量不足を痛感していたので、何かの本番を終える毎に人知れずトイレに駆け込み、声を殺して泣いたりしておりました。
会場から忽然と姿を消した娘を、きっと母は心配して必死に探していたことでしょう(;^_^A
いったん気持ちを落ち着かせて、さも何事もなかったようにふるまう娘に変に声をかけることもなく、
普通に接してくれていたこと、
そして絞り出すように今日の演奏についてのふがいなさを吐露すると、間髪入れずに
「いーーーや、あんたは上手やった。お母さんは専門的にはなーーーんもわからんけど、あんたが一番上手やった!!」
と、「励ますためにそんなこと言って」と思う一寸の隙もこちらに与えないほどのパワーをもってして
声をかけ続けてくれたこともまた大変ありがたかったです。
性格によっては、そういう方法は受け入れられないという方もいらっしゃるかもしれませんね。
でも当時ネガティブ思考でずっと引きずってしまう傾向にあった私には、そんな思考を強制終了させてくれるくらいが
丁度良かったのです。
そしていつだって自分のふがいなさは自分が一番わかっておりましたので、そのどうしようもない絶望感には、
「なんの根拠もない励まし」=私を信じてくれているパワーがこれ以外ないというほどの助けになりました。
私は今指導者としての立場ですので、
生徒さんには音楽的に妥協することなく伝えるあらゆる手段ももっていなくてはとも思いますし、
それに伴った「確かな根拠をもって」励ますことも大事だと思っています。
それと同時に、生徒さんを心から信じ、勇気が持てるような言葉がけをしたいと常々思っています。
ご家族の皆さんは、なんの根拠もなく励ましてあげて下さいね(o^―^o)ニコ
自分そのものに自信が持てるように。
そしてゆくゆくは自分の音楽に自信が持てるレッスンを。
長くなりました(;^_^A
それではまた☆彡